アーキプラス

94.リサイクル

自宅近所の量り売りのお肉屋さん
 人口減少といわれる中で、都心ではどんどんビルが建てられている。私が学生であった1970年代東京の山手線内の平均階数は2に達していないといわれた。平屋の建物が多く、高層ビルもあったが、平均するとそんなものだった。ニューヨークの高層高密度、パリの中層高密度に対して低層高密度の東京といわれていた。東京はシティではなくビレッジだともいわれた。それから50年近く経った今、各所でこれだけの超高層をはじめとして多くのビルが建てられてきた。その平均階数が4になろうとしている。その当時には想像しえなかった量の超高層ビルが林立してきた。東京だけではなく、世界中がである。そういう中で自分自身も平均すれば階数4を超える建築を設計してきた。本当にそんなに建て続けて大丈夫なのだろうか。素朴な疑問だ。
 1972年に発表されたローマクラブの提言「成長の限界」では「人口増加や環境汚染などの現在の傾向が続けば、100年以内に地球上の成長は限界に達する」と警鐘を鳴らした。「人は幾何学級数的に増加するが、食料は算術級数的にしか増加しない」その直後にオイルショックとなり、資源は有限であることを世界中が認識し始めた。その流れの延長でSDGsが生まれた。これは国連が掲げた2030年までに達成すべき「持続可能な開発目標」である。
 コロナ禍になって以来、飲食店での食事はなるべく控えている。特に仕事の折りは、近くのなじみの飲食店から持ち帰りで済ましているが、ヤチダヨリ#89「自粛要請期間中に思うこと」で書いたように、食事は自炊がほとんどである。また、スタッフは原則在宅勤務としているため、自転車・徒歩通勤のKさんと車通勤の私は共に、厨房男子であるため、それぞれが食べたいものをサッと作って食べている。そこで気になるのは、スーパーやコンビニで小分けにして売られているものの多くが過剰な包装であることだ。そのほとんどがプラスチック製品である。時折メンバーが集まった時に頼むテイクアウトの包装もかなり過剰である。そして器、スプーン、スープカップ、包装袋すべてプラスチックである。そのプラスチックの多くは化石燃料である石油から作られ、多くのCO2を発生しながら、分解に長時間要し、自然界の生物に悪影響を及ぼす。悪循環である。
 私が小さい頃は醤油やお酒、砂糖などの調味料をはじめ食品のほとんどが量り売りもしていた。八百屋、魚屋、肉屋などの小さな商店の集まった市場に行くと網かごに直に入れるか、竹皮などに紙または新聞紙などで紙ひもや輪ゴムにくるんで買っていった。そのうちスーパーストアが現れてから変わってきた。70年代に入ってから、プラスチックゴミが増えてきた。レジ袋廃止は考えるきっかけを作ったが、ゴミはどんどん増えてゆく。今更ながらこのままの消費の増加、はたまた経済の成長は本当に必要なのかと思えてくる。
 石川英輔さんの『大江戸えねるぎー事情』によると江戸時代は「リサイクルが発達した理想的なエコロジー社会であった。」と述べている。江戸は人口100万人を超えた世界最大の都市であったが、消費は藁、竹、灰、なたね油など太陽エネルギーの有効利用をしてムダのない暮らしの知恵でリサイクルされてきたといわれる。鎖国、人の往来の制限など封建的で非近代的なイメージが強かった江戸時代だが、コロナ禍の現在ではむしろ新鮮なシステムのように見えてくる。島国で孤立しながら、限られたエネルギーをできるだけ効率よく利用するための努力の結果、独創的で多様性に富んだ文化が生まれたのである。私たちがこれまで暮らしてきた日本では、敗戦後の復興、高度成長、バブル経済の崩壊、負のスパイラル、グローバリゼーションと目まぐるしく変化してきたが、経済成長が社会の繁栄ではないと身をもって知る時期が来た。そのためには、衣食住を始め、身の回りのものや暮らし方から見直さなくてはならないだろう。
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