アーキプラス

2012.10.31

10.建築の旅 Ⅰ

コラムcolumn
 修士課程を終えた1978年に大学時代の仲間3人で一緒に始めた設計事務所であったが、1980年ころから1年置きに、交代で4ヶ月づつの建築見聞の旅をしようということになった。そこで1981年に私はヨーロッパ建築一人旅をした。
 生まれて初めての海外旅行であったが、途中タイ・ミャンマー・パキスタン・トルコなど南回りで立ち寄ってのヨーロッパ入りであった。7月下旬コペンハーゲンを皮切りに主要都市を巡った。建築学会西洋建築史図集とヨーロッパ建築案内(東大香山研究室編集)を手に古典・近代・現代建築を見て廻る旅である。以前より勉学には怠惰な学生であったので、それを補完する旅でもあった。
 古典建築からオットーワグナー、コルビュジェ・アアルトあたりまでの近代建築、当時衝撃的であったポンピドゥセンターなどの現代建築まで、ローマ・パリ・ベルリン・ウィーン・バルセロナ・アムステルダム・ヘルシンキなどヨーロッパの主要都市の建築はくまなく見てまわった。兄の友人がいるパリがヨーロッパの鉄道の中心であったため、時折泊めてもらった。また、当時留学生で滞在していた友人宅(コペンハーゲン、ユトレヒト、フィレンツェ)などにも押しかけた。他で泊まるところはだいたいドミトリーのようなところで過ごした。しかし、それでも資金が心細くなった。そこで3ヶ月間ヨーロッパ内フリーパスのユーレイルパスを持っていたため、移動の時間が省けるうえにただでいつもいられる1等車のコンパートメントを塒(ねぐら)とするようになった。
 10時間ぐらいの距離を走る夜行列車に乗ることになる。駅のトイレで顔を洗い、歯を磨き、カフェでコーヒーを飲み、荷物をラゲージに預け・地図を入手、見ようと思う建築を地図にマークしてからでかける。移動手段はバスや地下鉄に限られるわけだが、自然と歩く距離は増え、多い時は20kmを超すことにもなる。まさに足を棒にして、日が昇り、日が落ちるまで、建築を見てまわる。食事は駅のセルフサービスのレスランで済ますか、スーパーで買ったものを公園や列車の中で食べる暮らしだ。気をつけないと建築を見るというよりは行くことが目標になってオリエンテーリングのようになってしまう可能性がある。とにかく毎日こうやって過ごし幾千もの建築を見て回った。
 97年に久しぶりヨーロッパ一人旅をした。このときはピーター・ズントー、ヘルツォーク&ド・ムーロン、コールハース、ジャン・ヌーベルなど当時話題となった建築を見たかったからである。また、ユーレイルパスを購入し、個室寝台車やパノラマーカーなどにのり、普通のホテルに泊まって旅を満喫した。久しぶりではあったが、あまりに楽しかったものだから、翌98年に今度はスイスにしぼり、前半は建築一人旅、後半は妻と合流して観光旅行をした。今度はボルボのV70をチューリッヒ空港からレンタカーを借りた。左ハンドル、右側交通でいきなり土地勘のない高速道路に飛び出し往生したが、慣れてくると非常にスムーズで前年行きにくかった山の奥のほうにも楽々行ける。後半はグリンデルワルドを中心にユングフラウやツェルマットなどの観光地をまわった。
 ある日ミューレンという素朴な村に行き、さらにある映画「女王陛下の007」に登場して一躍有名になったシルトホルン展望台に行った。アルプスを背景にした大パノラマが見えるはずであったが、霧がかかって何一つ見えない。天気予報も芳しくない。そこで急遽「ルツェルンに行こう。確かジャン・ヌーベルが設計したルツェルン文化・会議センターが完成しているはずだ。」と思い、車をルツェルンに向かわせた。駐車場がいっぱいになっている。世界3大音楽祭の1つルツェルン音楽祭があるらしい。実はルツェルン文化・会議センターのおりしも?落としの日であった。建物のエントランスに行くとなんとジャン・ヌーベルがマスコミのフラッシュを浴びながら入場するところではないか。建築家の「ハレの日」の始まりに遭遇した。脇から思わず手を振ってしまった。
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