アーキプラス

2021.07.08

95.住居表示

自宅近所の量り売りのお肉屋さん
 事務所の向かいにある古い佇まいの家。その門柱には淀橋区諏訪町と書いてある。事務所をこの地に移した2005年からこのままである。ここは新宿区西早稲田である。東京都新宿区は1947年に当時の東京都四谷区、牛込区、淀橋区が合併して生まれた。その当時のままで門柱を残してある。西早稲田とは早稲田通りを挟んで両側にある広いエリアで旧淀橋区戸塚町1丁目、2丁目、諏訪町、牛込区高田町、戸山町の一部または全域をまとめてつけられたものである。早稲田の西であり、わかりやすいといえばその通りであるが、何か歴史のかかわりもない味気ない名称でもある。日本の住居表示は一般に街区方式と呼ばれ、街路で区域を分けている。また、1962年5月10日に施行された法律によって、わかりやすく、郵便物を配達しやすいようにした。確かに、都道府県、市区町村、町名、丁目、番、号の順にヒエラルキーをつくると、順番にエリアが絞られて行って、たどりやすい。昔住んでいた世田谷区経堂も小学生か、中学生の頃〇丁目〇番〇号に変わったように思う。それに慣れているのでごく当然のように受け入れていた。
 パリ帰りの大学の先輩との酒席で東京とパリの住居表示の方法の違いが話題になった。彼は、パリのように通りの名前に番号をふるやり方(欧米で一般的な道路方式)がアイデンティティがあり合理的であるといった。その前にお中元の配達で旧制度の番地で四苦八苦していた経験から現在の日本の住居表示はそれなりに段階的に的を絞り、非常に合理的であるような気がした。それを言うと、どうして君は理解できないのかと叱られてしまった。外国旅行に行ったことのなかった自分には比較できずよくわからなかった。
 それから数年経って、ヨーロッパ中を旅行して回った(ヤチダヨリ#10 建築の旅 Ⅰ 参照)都市に着くと駅のツーリスト・インフォメーションに行き、シティマップをもらい、その際住所のわかるところはAからZまでの通りのインデックスから探し出し、地図上のタテヨコ(大概はAからZと1~の数字)の記号(例えばA6とかF7)で通りのある部分を特定し、その中からその通りを探すことになる。少し面倒くさい。謎解きをしてゆくようでもあり、それを解明してゆくのが楽しみとなっていった。わからない場合や住所そのものがわからない場合はインフォメーションで指差しをして教えてもらいゆき方も教わるといった具合である。最終的には、ほとんど解明してゆき満足感を得ることができた。しかし、慣れないとまた慣れていても面倒くさい気がした。
 それからだいぶ経った15年ぐらい前のこと、フランス・プロバンス地方をレンタカーで旅行した時のこと。当時ヨーロッパでは、レンタカーにカーナビは普及していなかった。が、試しにリクエストしてみる。町(シティ)と通り名と番号を入力するだけで距離と時間と経路が表示される。これは楽だ。Go to the left とか If possible U turn please などと音声でいろいろ教えてくれる。右側交通、左ハンドル、ラウンドアバウトなど交差点での曲がり方の違いなどのハンディを解消してくれた。これは便利だと思った。曲がるところを間違えても、補正してくれ、最終的に目的地にスムーズに導いてくれる。これなら、入力さえすれば簡単にたどり着くことができ、海外で運転することハードルが下がったと思った。今だったら、スマホで十分機能し、行き方も何番のトラムに乗れとか指示してもらえるから、何と便利になったことかと感嘆することだろう。そういう意味では道路方式であろうが、現在の街区方式であろうが、使い勝手の上では大差なくなってきているように思う。
 ところで、新宿区は牛込柳町や神楽坂近辺で、古い地名を細かく残している。その経緯はよく知らないが、都内では珍しい。どのような経緯があったかはわからないが、過去とのつながりを残そうという運動があったのかもしれない。お陰で、事務所のある西早稲田近辺では、地蔵坂、茶屋町通りとか通りに名前を付け、数年前から由来を表示している。やはり、過去とのつながりを日常的に感じられるのは嬉しいことだ。
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