アーキプラス

2012.11.30

11.写真家 Ⅰ

コラムcolumn
1916年日本で最初の鉄筋コンクリート造高層アパートといわれる集合住宅30号棟
中庭式住居通路側に各家の竈があり、江戸時代の長屋を積み上げたようなもの。
風通しはよさそうである。                 写真 齋部 功
 写真家の宮本隆司さんには都市住宅1985年7月号「パートナーシップの可能性・アモルフ&ワークショップ」で我々の建築の写真を取っていただいた。実務経験もなく大学時代の仲間3人ではじめた[ワークショップ]であったが、思えば、当時30代前半であった我々が建築雑誌に特集されるなんて幸運以外の何ものでもないことである。少し年上の写真家は思慮深い鋭い眼差しと共に優しさが漂っていた。そのころ、宮本さんは廃墟をテーマに写真を取り続けていた。1986年に個展「建築の黙示録」を代官山のヒルサイドテラスで開き、脚光を浴びた。我々もその後廃墟だった建築を商業空間に修復再生した作品などを撮影していただいたが、以降彼は作家活動に専念されている。その後作品集『九龍城砦』『建築の黙示録』を発表、1989年には第14回木村伊兵衛写真賞を受賞された。1996年には阪神大震災をテーマに建築家の宮本佳明さんと共に第6回ヴェネツィア・ビエンナーレ建築展に参加し、共同展示し金獅子賞を受賞した。空間を題材とした独自の方法で国際的にも評価されている写真家である。最近は神戸芸術工科大学で教鞭をとっておられる。
 あるパーティで20年ぶりぐらいにその優しい眼差しに出会った。「今、谷内田さんが設計した素敵な空間にいます。」聞くと私が設計した集合住宅にオフィスとして使われているとのこと。嬉しかった。 
 斎部功(いんべいさお)さんは「日経アーキテクチュア」や「住宅建築」などの雑誌と提携していた写真家である。日経アーキテクチュア1988年3月21日号でNextPhaseという特集で第4世代のひとつとして我々のチーム[ワークショップ]が取材され、その時に事務所の中を撮影してもらった。そのことが縁でそれぞれが独立した後でも私は続けて建築を撮影していただいている。穏やかで優しさに満ちた人柄である。長い付き合いの中で一度も対立したことがない。そのこと自体は少々問題があるかもしれないが・・・。彼は行動派である。建築の周りの人たちと交渉し、話をつけ近くの高いところに登って「空撮」をするのが得意である。昔はいろいろなところに一緒に乗り込んで撮影した。熊本ではあるオフィスの空間と温泉施設など泊り込みで撮影した。ゴールデンウィークに重なり日程に余裕があったせいか、天気の様子を見ながら、何泊もしながらのドサ周りという風情であった。時間に余裕を持って一緒に気持ちを合わせてゆくことになる。いい写真が取れた。
 彼は建築の竣工写真の他に、武蔵野の面影が残る農家のたたずまい、アジアのスラム、消え行く同潤会アパートなどをテーマにして、出版、写真展を行っている。最近は、ODA関係の竣工写真をとるために海外特にアジアに行くことが多い。いろいろな国を訪問し、時には奥様も同行し、旅行を楽しんでいる。また、伊豆高原に別荘を持ち、畑を耕し、SLOWLIFEを20年ぐらい前から楽しんでおられる。うらやましいライフスタイルである。
 その斎部さんから「谷内田さん、軍艦島に行きませんか」というお誘いがあった。2001年の春のことである。軍艦島は明治期からの炭鉱の産業遺構であるが、地域の観光資源として活用しようとしている。現在は、長崎市の管理である。限られた日にほんの一部しか見られない。当時は三菱マテリアル所有であった。時効だから言うが、立ち入り禁止であったから、無断で入れば不法侵入になる。聞けば 漁師さんに頼めば、船を出して着岸出来るとのこと。スタッフ3名を引き連れて斎部夫妻と共に不法侵入した。1974年閉山当時の生活の息遣いが残っていた。戦前は外国人を使った厳しい雇用形態もあったが、戦後は復興とともに学校、病院、映画館、寺院も揃い、人口は5000人を超え、世界一の人口密度となっていた。楽しかったであろう生活の残像も読み取れた。
 宮本隆司さんは1947年生まれ、斎部功さんは1948年生まれの団塊の世代である。ともに光と影から立体・空間を表現する写真家である。写真家としてのスタイルは異なるが、私の最も敬愛する写真家である。宮本さんはまだあの集合住宅でお仕事されているかな?
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