アーキプラス

2013.02.28

14.高山病

コラムcolumn
写真 チベットの中心地ラサに建つポタラ宮殿
 1976年夏、富士山に登った。修士2年で研究室の夏ゼミが箱根で行われた後、車に若干の防寒着を積み込み、男二人組でスバルライン5合目の駐車場に車をとめ、富士山名物の金剛杖を片手にGパン姿のまま登り始めた。8合目と9合目の中間ぐらいのところで暗くなってきたので、予約はしていなかったが、山小屋に泊まることにした。すでに真冬のような寒さだ。中央に囲炉裏があり、豚汁うどんを注文する。沸点が低いためか、いまいちの熱さである。メニューに熱燗があったのでいただく。真夏から真冬に戻ったような感覚でやけにおいしく感じ、すすむ。9時すぎには横になり、1時過ぎに起きて準備をする。少し頭が重い。登山道は満天の星が輝き、天の川が河のように見える。銀河系宇宙の中にいるのを実感した。ごぼう抜きで年配者の集団を追い越してゆく、やがて薄明るくなり、頂上でご来光を拝んだ。水溜りには氷が張っている。やけに寒い。インフルエンザにでもかかり、熱が40度近く出たような感じで、頭や目の奥が痛くなっている。いるだけで気分が悪いので、お鉢めぐりもそこそこに早々に下山する。転がり落ちるように下山道を下るとあっという間に5合目までたどり着いた。気分の悪さはまったくなくなった。高山病だったのである。急に体を動かし、酒を飲んだりするとひどくなるらしい。
 1985年1月に足痛により途中で断念したチベットのラサ行きを敢行するため、その夏にまた中国に行った。ラサ・クンガ空港は標高3500m以上でラサまでは100km以上ある。未舗装のでこぼこ道を3,4時間ほどバスに揺られてたどり着く。念願のラサである。まず市内を巡った。真夏だが、高度があるため乾いた涼しさが漂う。チベット仏教の聖地はいたるのころで五体投地を行う巡礼者を見かけた。翌日起きると頭が割れるように痛い。しまった高山病になってしまった。1週間後の帰りの便を待たなくては高山病は治らない。歩いて回れる状態ではなかった。なかなか回復しない。食欲もなく、宿屋に同宿する日本人旅行者に果物の缶詰を買ってきてもらい何とか凌いだ。4,5日部屋の天井しか見ない日が続いた。何やら背中がむず痒い。宿の寝具にノミが潜んでいたらしい。数日たって高度に多少体が慣れたのか、少し歩けるようになり、ラサを発つ前日必死の思いで一番の目的であったポタラ宮殿を訪れた。成都、上海、香港と乗り継いで戻ってきたが、折しも中国は台風一過の猛烈な蒸し暑さであった。その上、ノミにくわれた背中がはれ、極度のむず痒さにおそわれていた。東京に戻ると街全体がクーラーで覆われたような涼しさであった。厳しい旅を体感した。
 1989年夏、妻とレンタカーで英国一周の旅行をした。N・フォスターの作品や事務所を訪れたり、グラスゴーでマッキントッシュの作品を見たり、リバプールでビートルズの軌跡を追いかけたりして盛り沢山なスケジュールをこなし、帰路につく。予期せぬロンドン郊外の渋滞にまきこまれた。チェックインに間に合わないかもしれない。その便を逃すわけにはいかず、妻と車の返し方や地図を確かめながら、ヒースロー空港のステーションにレンタカーをもどす。チェックイン〆切に滑り込んだ。やれやれ、極度の緊張感から開放され、安堵の中での機内食でのワインも進んだ。少しウトウトして、気がついてみると気分が悪い。だんだんさらに悪くなる。目が白んでくる。今まで味わったことのない不快感である。医師である妻からいろいろな薬が飛び出し、ようやく治まる。機内の気圧は、富士山の5合目に相当する0.7-0.8気圧程度で、体内の酸素分圧も約2割低下する。地上の2、3倍の速さで酔いが回ってしまう。ここでもまた高山病にかかってしまった。以来、機内でのお酒は多少慎むようになった。
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