アーキプラス

2013.10.31

22.ViVa和蘭陀

コラムcolumn
写真:セントラル・ベヒーア
 1981年のヨーロッパ建築一人旅では、ユトレヒトに留学している知人の下宿に転がり込んだ。実にコンパクトで合理的な屋根裏部屋であった。ここを根城としてオランダを回った。アムステルダム、ロッテルダム、ハーグなどの各基幹都市は急行列車インターシティによって2、30分~1時間ほどで結ばれ、ネットワークができている。ユーレイルパスを持つ私にとってとても便利であった。それを使い、アペルドルーンという小さな町に行った。ヘルマンヘルツベルハーという建築家が設計したセントラル・ベヒーアという保険会社のオフィス・ビルを見るためである。GA Documentに掲載され、惹かれたからである。コンクリートブロック、ガラスブロック、コンクリート打ち放しなどの標準的にユニット化された部品のシステマティックな繰り返しから複合的な空間が生まれていた。大学院時代の研究室(東京大学生産技術研究所、池辺研究室)での標準化と多様化というテーマと重なっていた。私はあまり感化されるタイプではないが、多分に池辺先生に影響を受けていた。単純な部材の繰り返しで部分から全体へと繋がり、豊かで開放的な空間が生み出されていた。同様の試みはルイス・カーンのソーク研究所やイエール大学のブリティッシュ・アート・センターなどにおいてもみられる。カーンの場合はその難解な空間美学の言語と共に厳格な繰り返しによって神殿のような崇高な空間に仕上がっている。が、私はこのオフィスビルのように、ただ普通のありふれた空間が、臨機応変に対応して、積み重なってゆくことに親しみを感じた。保険会社なので金融機関であるが、当時は解放的で誰でも開放的な内部に入ることができた。(増築された1997年にいったときには開放されていなかった。世界的な情勢の変化か?) 同じくヘルツベルハーが設計したユトレヒト駅前にある音楽センターは完成直後であり、何度も見にいった。ここでは木毛セメント板、切り放しの合板などを用い、ラフな材料だが、綿密に計算されたコンポーネントの構築で、チープシックといわれるような材料の使い方をしていた。これも共感を覚えた。
 オランダの街ではコロッケの自動販売機があり、せっかちで実利的な大柄なオランダ人は濃厚でスパイシーなコロッケをポテトフライ同様ほおばりながら歩く。かつての植民地であったインドネシア料理の店が多く、ナシゴレン(焼き飯)、バミゴレン(焼きソバ)、サテ(ピーナッツソースの焼き鳥)などがどこでも手軽に食べることができるのも、嬉しかった。
 オランダの居心地がよかったものだから、1997年またオランダに行ってみた。しかし、建築の様相が少し変わってきて、システマティックでヒエラルキーのあるものから、自由な枠組みの建築へとシフトしてきたような気がした。レム・コールハースや彼が主宰する設計組織OMAなどから生まれた若い建築家たちはどちらかというと保守志向が強い街の情景に新しい刺激を与え、建築ゲームを楽しむかのようだった。彼らは今ではアジアやアメリカにも進出し活躍している。南部港湾地区開発のハウジング群はその百花繚乱の場であった。20世紀初頭からソシアルハウジングを国家戦略として住宅政策を行っていた頃とはまったく異なり、自由奔放な差異化が感じられた。その新しい魅力に惹かれ、その後2000年に知人を引き連れ、2004年にも事務所旅行として訪れた。一般の多くの人はレンガ造の建築を好むらしいが、保守性と革新性が同居し、近代デザイン運動でも、オランダでは表現主義と構成主義が競い合う二面性を持っている。私は「質素」「個人主義」「合理主義」といったイメージが強い。「ダッチ○○○」という呼称にはケチでセコいという侮蔑的な意味合いがあるが、形式にこだわらず、飾らない部分のオランダが好きだ。
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