2014.02.28
26.極寒北海道の旅 2014
コラムcolumn
写真:網走湖上のワカサギ釣り
2月9日、11日の飛び石連休をはさんで5泊6日の極寒北海道への一人旅をした。いつか厳冬の時期に北海道に訪れてみたいという子供の頃からの念願を叶えた。同時に、昨秋42年ぶりに会った北海道在住の友達の暮らしぶり見てみたいと、一路北へと向かった。網走を皮切りにJRで旭川・岩見沢・札幌・小樽・余市・ニセコ・洞爺と巡った。
網走では、屋久島や九州の時のように自然ガイドの人に案内してもらった。流氷・オオワシ・キタキツネ・エゾシカなどの自然観察である。世界で約5000羽の希少野生動物であるオオワシ観察ではのどかな時を過ごせた。オオワシは羽を広げると2.5m近くもある大きく勇敢な姿であり、世界の鳥愛好家の中では唾涎の的だそうだ。約2000羽が北海道で越冬し、河にひそむサケを餌に暮している。そのうちの十数羽を見た。非常に静かな生き物である。時折、カラスがちょっかいを出すが、遠くにいる仲間たちを眺めながらただじーっとしている。その他、氷点下18℃雪中での露天風呂も楽しんだり、網走湖の50センチもの氷を掘り抜いてのワカサギ釣りなど、これまでに味わえなかった「寒さ」を堪能した。
ちょうどその時期に各地でお祭りがあり、雪像、氷像を見かけたが、これはどれもステレオタイプ化されており、少しマンネリになっているようだ。むしろ、旭山動物園のように動物の自然な生態を見せる行動展示のほうが、観光としては新鮮であり、人気があった。また、外人観光客が多く、とりわけ中国系の人が多かった。聞くところによると、広州などの南の人、台湾人・香港人・シンガポール人・マレーシア人など多彩らしい。最近ではタイの人も多いそうだ。ASEANの国では経済発展の中で富裕層が増え、自国にはない厳冬を楽しみにやってくる。「寒さ」が観光資源となっている。
函館本線では、1両または2両連結のディーゼルカー(まるでぽっぽやの世界)の中はスノーボードを抱えたオーストラリアの観光客でラッシュアワーの満員電車のようであった。(大多数は直行便の着く千歳から直行バスで来るらしいが)グラン・ヒラフスキー場はゲレンデもレストランも7割がオーストラリア人であった。ここには、オーストラリアやアルプスのスキー場にはない最上質の雪と自然コースがあるかららしい。安くておいしい海鮮の店、ひなびた露天風呂などにも多く出没し、スキーを楽しむとともにニッポンの文化も堪能しているようだ。
1971年の夏、大学一年生のときも北海道一人旅をした。当時、大きなリュックを背負い、簡易宿泊所に泊まったり、野宿をしながら、国鉄の周遊券を使い気ままに旅する当時流行っていた[カニ族]のスタイルである。特に北海道は人気があり、離島や最果ての半島を若者は目指した。私も利尻・礼文の旅を終え、稚内で高校サッカー部の後輩に出会い、トラックの荷台で野宿をした次の日、層雲峡のキャンプ場で今度は同じく同期の友人とバッタリ会った。ともにテントを張り、飯盒メシを炊き、一晩語りあった。高校時代は70年安保の時代で、3年生のときはストライキも体験した。いろいろ揺れ動き、卒業後の生き方はそれぞれが模索していた。彼はその後も旅を続け、牧場やコンブ漁などの手伝いをしたりするなかで、そのまま北海道に木彫を仕事として定住(settle down)した。北海道在住の友達とは彼のことである。今では、住まいの隣にアトリエとギャラリー、カフェを併設し、時折ジャズライブもやっているそうだ。子育ても終わり、悠々自適の生活を過ごしている。ワインを造ったり、バンドをつくり、サックスを吹き、サッカー、カヤック、山登り、競技スキー、内浦湾での海釣りなど春夏秋冬を通じ、自然と向かい合いながら暮らしを楽しんでいた。このライフスタイルこそ唾涎の的である。
網走では、屋久島や九州の時のように自然ガイドの人に案内してもらった。流氷・オオワシ・キタキツネ・エゾシカなどの自然観察である。世界で約5000羽の希少野生動物であるオオワシ観察ではのどかな時を過ごせた。オオワシは羽を広げると2.5m近くもある大きく勇敢な姿であり、世界の鳥愛好家の中では唾涎の的だそうだ。約2000羽が北海道で越冬し、河にひそむサケを餌に暮している。そのうちの十数羽を見た。非常に静かな生き物である。時折、カラスがちょっかいを出すが、遠くにいる仲間たちを眺めながらただじーっとしている。その他、氷点下18℃雪中での露天風呂も楽しんだり、網走湖の50センチもの氷を掘り抜いてのワカサギ釣りなど、これまでに味わえなかった「寒さ」を堪能した。
ちょうどその時期に各地でお祭りがあり、雪像、氷像を見かけたが、これはどれもステレオタイプ化されており、少しマンネリになっているようだ。むしろ、旭山動物園のように動物の自然な生態を見せる行動展示のほうが、観光としては新鮮であり、人気があった。また、外人観光客が多く、とりわけ中国系の人が多かった。聞くところによると、広州などの南の人、台湾人・香港人・シンガポール人・マレーシア人など多彩らしい。最近ではタイの人も多いそうだ。ASEANの国では経済発展の中で富裕層が増え、自国にはない厳冬を楽しみにやってくる。「寒さ」が観光資源となっている。
函館本線では、1両または2両連結のディーゼルカー(まるでぽっぽやの世界)の中はスノーボードを抱えたオーストラリアの観光客でラッシュアワーの満員電車のようであった。(大多数は直行便の着く千歳から直行バスで来るらしいが)グラン・ヒラフスキー場はゲレンデもレストランも7割がオーストラリア人であった。ここには、オーストラリアやアルプスのスキー場にはない最上質の雪と自然コースがあるかららしい。安くておいしい海鮮の店、ひなびた露天風呂などにも多く出没し、スキーを楽しむとともにニッポンの文化も堪能しているようだ。
1971年の夏、大学一年生のときも北海道一人旅をした。当時、大きなリュックを背負い、簡易宿泊所に泊まったり、野宿をしながら、国鉄の周遊券を使い気ままに旅する当時流行っていた[カニ族]のスタイルである。特に北海道は人気があり、離島や最果ての半島を若者は目指した。私も利尻・礼文の旅を終え、稚内で高校サッカー部の後輩に出会い、トラックの荷台で野宿をした次の日、層雲峡のキャンプ場で今度は同じく同期の友人とバッタリ会った。ともにテントを張り、飯盒メシを炊き、一晩語りあった。高校時代は70年安保の時代で、3年生のときはストライキも体験した。いろいろ揺れ動き、卒業後の生き方はそれぞれが模索していた。彼はその後も旅を続け、牧場やコンブ漁などの手伝いをしたりするなかで、そのまま北海道に木彫を仕事として定住(settle down)した。北海道在住の友達とは彼のことである。今では、住まいの隣にアトリエとギャラリー、カフェを併設し、時折ジャズライブもやっているそうだ。子育ても終わり、悠々自適の生活を過ごしている。ワインを造ったり、バンドをつくり、サックスを吹き、サッカー、カヤック、山登り、競技スキー、内浦湾での海釣りなど春夏秋冬を通じ、自然と向かい合いながら暮らしを楽しんでいた。このライフスタイルこそ唾涎の的である。
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