アーキプラス

2014.05.31

29.高所恐怖症

コラムcolumn
写真:SVELTO 久松小学校の屋上から正面を見る
撮影 齋部 功
 ○○と煙は高いところに昇りたがるといわれる。私が始めてニューヨークを訪れた時に、すぐに向かったのが、エンパイア・ステートビルの展望台であった。1931年完成、石貼りの鉄骨造でアールデコ・スタイルの建築だが、381mある第二展望台は吹きさらしの露天で遮るものがない。真向かいには、今はなきワールド・トレード・センターのツインタワーが霞んで見えていた。しかし風に吹かれて何か落っことしたら大変なことになる。怖かった。1990年9月のことである。そこで建築家の若林広幸さんと出会った。彼とは“Emerging Japanese Architects of the 1990's”という展覧会を6組の建築家のグループと共同でコロンビア大学のワラック・アート・ギャラリーで催していた。バブル景気でメセナ活動が積極的に行われた良き時代であった。彼もニューヨーク初体験のようでスタッフの方とともに訪れたところであった。お互いにお上りさんといったところか。
 私は高いところは好きだが、実は高所恐怖症でもある。ロープウェイに乗ると腰が引けてしまい妻からからかわれてしまう。観覧車も同様に苦手である。仕事柄、高いところに昇ることが多い。ただ、工事現場は大方シートで囲われているため恐怖感はあまりない。むしろ、3階建ての屋根スラブの上に立ち、空を見上げるような時が怖く感じる。手摺りなどなく、開放的な空間を見上げる時がなぜか怖く感じる。飛行機やジェットコースターなどはむしろ好きである。小型飛行機やヘリコプターにも乗ったが、怖くは感じなかった。東京タワーのリニューアルの仕事をした時、機会があって、第二展望台の上部まで階段で上ったことがある。これは不思議とそれほど怖くはなかった。頼りとなる手摺がしっかりとあったためか?
 高校サッカー部の練習で、グランドが確保しづらかったため、屋上で練習をすることとなった。パスだけならよいが、ヘッディングもする。失敗してボールが4階建ての校舎から落ちて人や物に当たるらないかと怖かった。だが、落とさないように丁寧にする訓練になる。隣はお寺の墓であったが、取りに駆け下りる面倒さを考えると自ずから正確にやらざるを得なくなる。できればグランドの方がよい。9階建てのマンションに住んだことがある。縦格子の通路の手すりには恐怖感を憶えたが、高所で暮らすのは意外とすぐに慣れた。
 日本橋久松町の集合住宅 SVELTO が完成した。日本橋のビル街の狭間に空いた駐車場38坪の土地に建つ11階建て16戸の集合住宅である。間口7mのファサードは全面ガラス貼りとした。シンプルな構成のペンシルビルとなった。目の前には東京でも有数の歴史のある小学校久松小学校と幼稚園がある。日本橋問屋街地区計画により、1mセットバックすると36mの高さまで建築するのが可能な地区である。指定容積率600%のボリュームを確保するためには、11階分が必要になる。11階分は通常33m程度となる。36mの高さは3mほど余裕がある。3mを2,3階、4,5階、6,7階の各2層分に1m振り分け、2階分で7mの階高を確保した。各階2戸として、1 層と1.5 層の空間を複合させたロフト付き33 ㎡の住戸。8,9階では吹き抜けのある61 ㎡メゾネット。10,11階では各階1戸でフレキシブルな平面の住戸をとした。外のシンプルさに比して中は複雑な構成である。上階は全面ガラス貼りが効いて、近くにある特大のスカイツリーをはじめとして都市的な街の情景が部屋に飛び込んでくる。高所恐怖症の人でも視覚的な怯えにつながらない圧倒的な空間である。都市の情景を映し出す住宅の立体スクリーンとなった。
Copyright(c) 谷内田章夫 無断転載不可