アーキプラス

2014.06.30

30.くるまの話Ⅱ

コラムcolumn
シュピッテルホフ集合住宅(スイス、バーゼル)
   設計:ピーター・ズントー
   アプローチ部分にて
 初めて海外で車を運転したのは、1981年の8月であった。ヨーロッパ建築一人旅の途中、コペンハーゲンに留学していた友人が、フィレンツェで設計事務所に勤めている友人のところに遊びに行きたいという。そこで中古のMINIを買ったから、一緒に行こうと誘われた。念のため、国際免許証は取得しておいたが、慣れない左ハンドル、右側通行である。不安はあったが、そんな体験もまあいいかと思い、大柄の男2名での小さなMINIに体をたたみこんでのヨーロッパ大縦断旅行となった。もとより貧乏旅行中の身、経費をなるべく少なくしたいのでユースホステルに泊まり、自炊しながらの旅であった。すると途中のドイツのアウトバーン走行中タイヤがバーストした。中には200kmを越すスピードの車がよぎる中、路肩でのタイヤ交換は相当なスリルであった。いきなりの大トラブルであったが、幸いに怪我や車本体の損傷はなく無事に旅を終えた。
 当時はチューブレスではなかったのでよくタイヤはパンクをした。1986年のアラスカ旅行では、荒涼とした砂利道のハイウェイの中で2度もパンクを経験した。頼りないスペアタイヤでそれも騙し騙し、すれ違う車もない荒野を100キロ以上走り、深夜に(といっても白夜で夕方のようであった。)ホテルにやっとの思いでたどり着いたのも懐かしい思い出だ。
 自由旅行の場合、車があると、とたんに行動の幅が広くなる。最初の頃に危険な目を体験したせいか徐々に、度胸がつき、海外に行くとレンタカーを利用することが多くなった。しかし、慣れない土地、交通事情の違いなどでトラブルのリスクも多い。左ハンドル、右側通行、ダブルクラッチでもしないと入りにくい右手のフロアシフトなどは厄介である。またマップを見たりしながらの走行は非常に安定感を欠いている。同乗者との協議ももの別れする事が多い。90年のイギリス旅行では、標識が読み取れず、ロンドン市内で駐車違反をしてしまった。その前に食事した友人のところに電話して、対応を聞き、罰金を即時払い、車止めを取ってもらうような体験もした。
 1997年久しぶりのヨーロッパ建築一人旅で時刻表片手の鉄道旅行の楽しさを堪能した。しかし奥地へは行き辛かった。翌1998年今度はスイスに集中するためレンタカーを借りることにした。そこでボルボV70のオートマティックをオーダーした。昔からボルボのワゴンは大好きで。レンタカーで借りるという手があったのだ。自動車地図を持たずチューリッヒ空港を飛び出しいきなりハイウェイに出た時はさすがにあせったが、徐々に慣れてくる。スポーティーでパワフルにアルペンルートを快走した。
 2007年南仏旅行ではメルセデスC200ディーゼルを使った。初めて海外でカーナビを使用した。空港のレンタカー営業所で入力方法を教わる。まだよくわからない。だんだん使っているうちに慣れてきた。何よりよいのが、行く先の住所や電話番号を入力するだけで[go strait]とか[turn to the left]とか [if possible, U-turn please]とか言って、希望の場所まで導いてくれる。慣れない左ハンドル、右側通行でも、運転に集中できるので非常に運転が楽になった。日本人には慣れないラウンドアバウト(円形の交差点)の回り方さえマスターすると、ナビ付きレンタカーであれば鬼に金棒だと思った。ヨーロッパで主流のディーゼル車は高性能でプロヴァンスにある鷲の巣山集落の山道でも粘り強く、快調に駆け回る。その後2010年バンクーバーでもカーナビ付のレンタカーを利用した。海外旅行の定番となりそうだ。
 この10年でベトナム、インド、スリランカ、タイ、インドネシア、中国などアジアの国も訪れた。ここでも車で回るのはとても便利だが、独特の道路・交通事情がある。よほど慣れているか、運動神経がよくないとついてゆけない。アジアでは、なれた運転者をチャーターするか、最近発達してきた公共輸送手段を利用したほうが、今のところ賢明である。
 今度は、ヨーロッパや北米でお酒の飲めない運転者を含む3,4人の運転できる仲間と大きな車を借りてゆったりと交代しながら、車で移動する旅行をしてみたい。
Copyright(c) 谷内田章夫 無断転載不可