アーキプラス

2015.04.30

40.多摩湖一周と野球観戦

コラムcolumn
西武ドーム外野スタンド側を見る。
ドームは閉鎖ではなく、開放式なので、桜の木が見え、風が流れる。
 スタジアムに行って野球を観るのが大好きだ。TVで観るより、スタジアムのほうが俄然楽しい。子供の頃から年2回ぐらいで観に行くのを楽しみにしていた。高校になってからは、それがサッカーになったが……。しかし、ここ数年は野球が多い。年十数回は観に行く。だいたいは4,5人でワイワイすることが多いが、夫婦で行ったり、一人でも行く。旅行のついでに大阪、神戸、福岡、札幌と各地のスタジアムにも行く。アメリカ旅行中にもメジャーリーグの試合を何回か見た。いろいろ観た中でやはり青天井の屋外空間が一番だ。しかも多少陽が射す薄暮の状態からが始まるのが良い。ドーム球場は白色の蛍光灯のオフィスの中でやるようなもので、味気ない。スポーツは自然の下に限る。
 その野球を好きになったきっかけは、小学1年生の時の日本シリーズである。読売ジャイアンツ対西鉄ライオンズの試合である。3戦連続して巨人が勝っていた。周りの大人たちはみな巨人を応援していた。判官贔屓というか、周りとは違う事を好むひねくれ者の根性で西鉄を応援した。ライオンズは絶体絶命の状況だった。それから怒涛のごとく、西鉄の大逆襲が始まる。鉄腕といわれた稲尾投手が4連投。大逆転で西鉄の優勝となった。感動を憶え、以来野球が大好きになった。その後3歳上の兄に鍛えられ、野球は自然に体で覚えた。体も大きかったせいかクラスの中では、誰よりも速いボールが投げられ、強打できた。野球を介して、何か自信がついてきた。しかし、中学、高校と野球部に所属した兄とは同じ道を選ばなかった。兄とは違う道を行こうと中学では水泳、高校からサッカーをした。
 仕事をするようになって、小学校時代の仲間と日曜日の草野球のチームをつくり、参加した。子供の頃のイメージでやったら、大違いであった。周りの多くは、中学、高校、大学での経験者の強者たち、彼らと同じようにうまく行く訳がない。暴投があい続き、周りから罵声・怒号が飛ぶ、最初は、サードで強打者のイメージだったのが、瞬く間にライトの8番おろか、試合成立のための先発メンバーとしてくるのが、義理の出場としての代打要員となる。守備は訓練が必要であった。ただ、バッティングは何とかなる。ライトで8番や負け試合の最終回代打であったりすると、投手も適当に手を抜いてくる。それにつけ込む余地はある。ど真ん中にストライクをとりにくるところ、打てばたまにはタイムリーの長打もでる。意外性がつきもののスポーツなのである。
 プロ野球、今年は年間143試合ある。大リーグは162試合でオープン戦やポストシーズンを含めると年の半分以上やることになる。こんなスポーツは珍しい。サッカーでは考えられない。投手のローテーションで、連日開催できる。アメリカで考えられた非常にうまくできている興行のシステムである。相撲は15日×6場所=90日+地方巡業、海外巡業、引退相撲などがあり、個人競技としては大変なものだ。いずれも、緩急があり、ゆっくり観戦できる競技だ。
 仕事をし始めた1978年に贔屓のライオンズは西武ライオンズとして近傍にやってきた。以来、西武球場がホームグラウンドとなる。西武鉄道の沿線住民なのだが、企業として個人的には好きではない。でもライオンズを応援しないわけにはいかない。空いているアウェイ側の席に陣取って呉越同舟での観戦が専らである。妻の医院は土曜も開業のため、ホームゲームとなる月の半分の土曜日はひとりで多摩湖1周(約12Km時には2周も)のランニングをしてその後、掬水亭という湖畔の中華割烹の日帰り入浴に入り、西武ドームで試合観戦をする。ビールを飲みながらゆったり過ごす。既に今年は合計2周した。10周ぐらいはすることになるだろう。
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