2015.07.31
43.近代住宅建築の名作をめぐる中欧の旅
コラムcolumn
この7月9日から16日にかけて近代住宅建築の名作をめぐる1週間の中欧の旅に行ってきた。今までビルマ(現ミャンマー)から海外での初めての旅を開始し、中国、ベトナム、キューバなど社会主義体制が未だに残っているところにも興味を持ち、訪れた。東欧(チェコ、ハンガリーは中欧と呼ばれるが)のかつての社会主義国は初めてである。だが、建築仲間と所員を含めた仲間内の気の合ったメンバーでの気楽な旅であった。以前から、チェコ第二の都市ブルノにあるミース・ファンデル・ローエの名作トゥーゲンハット邸を見に行こうといっていた。しかし、お互いのスケジュールや思わぬ川の洪水の問題などもあって、延び延びになっていた。チェコの首都プラハではアドルフ・ロースのミュラー邸も公開されている。ウィーンではロースの弟子が設計し、哲学者のヴィトゲンシュタインが関与したといわれるヴィトゲンシュタインの姉の住宅・ストンボロー邸も公開されている。3つの近代住宅の名作の内部を見ることができるということがわかり、それらを中心とした旅となった。完成がともに1930年前後の住宅である(日本では昭和5年頃である)。
まず訪れたのは、丘の上にあり、世界遺産のプラハの旧市街を見下ろす絶景の住宅地に立つミュラー邸。これは「装飾は罪」というテーゼで有名なアドルフ・ロースの後期の住宅作品である。「ラウムプラン」と呼ばれる立体を生かしたプランニングの住宅として有名だ。空間は体験してみなければわからないと日頃感じているので、是非見てみたかった。建物ガイドの人に説明してもらいながら、家のリビングルームと半階上がったダイニング、パーティの時にいろいろな場を提供するための夫人のための空間、少し他とは隔絶した客との談話を兼ねたライブラリーなど。レベル差を使った空間のつながりなど単純に納得できる作品でわかりやすい構成だ。ただ、驚きはなかった。構成する要素に装飾はないが、そのかわりに裕福な施主を満足させる材料を巧みに使い、質感を表現している。むしろ、施主の要望に丁寧に対応しているきめ細やかさに驚いた。
次にチェコ第二の都市ブルノに世界文化遺産でもあるトゥーゲンハット邸を訪れた。繊維業で成功したユダヤ人トゥーゲンハットの邸宅はそこから見えるブルノの街の風景が素晴らしい。 朝ランニングでまわって見た聖ペテロ聖パウロ教会とシュピルベルク城の2つのランドマークが見渡せる絶景である。この景色が気に入ってこの地を購入したと聞く。新しい建物はほとんどなく、古都の街並みも当時とほとんど変わらないであろう。その景色を家族やゲストは水平に連続するどの部屋からも見渡せる。メインフロアの1階には壁がなく、連続する一つの空間となっている。オブジェのような半円筒形の無垢の木による仕切りと大理石の大きな無垢の壁によって空間が分けられるが、すべてがスムーズに繋がっている。すべてのものが家族のための独自の設計となっている。また部屋には家具をはじめミースのものしか置かれなかった。南側はすべて4.8m×2.6mのガラス張りの連続だが、うち2か所は電動で開閉し、床下に格納される。また地下室を大きなチャンバーとした冷暖房のエアコン装置が備えられ、シンプルだが大がかりな装置を挿入し快適な暮らしを享受できるように設計されている。けた外れのお金の使い方であることが容易に想像できる。ものに対する執着、お金に糸目をつけず、実現させる執念に腰を抜かした。ロースより16歳下のミースは、この住宅作品により、すべて想像を超えた世界に導いたように見えた。
三つ目はウィーンでストンボロー邸を見学した。建築研究者またはヴィトゲンシュタインに興味のある人にしか意味を見出しにくい難解な作品であった。建築に興味がある人でも何が何だか理解しにくい住宅だと思った。
旅の終わりはハンガリーの首都ブタペストである。同じく世界遺産の街並みが美しかったが、ここで面白かったのは旧ユダヤ人地区に点在する廃墟バーであった。社会主義時代の数十年の間に空きビルや空き地が増え、荒廃したところ。2000年の初め頃、それを逆手にとって、崩れかけた建物にアーティストの作品を飾ったり、ダンスフロアをつくったバーが登場し、新たなトレンドが始まった。窓は板で塞がれファサードは煤けて、まるでただの廃墟のように見える建物。それを利用した廃墟バーが今では30軒ほどあるといわれている。アンダーグランドな雰囲気漂うブダペストらしい文化の発信地となっている。ある種の停滞がもたらした産物でもある。夏季であったので中庭も解放された半戸外のガーデンバーとなっていた。居心地が良かったものだから、我々も二度ある廃墟バーに訪れて楽しんだ。木造が多い日本では難しいところもあるが、荒廃したシャッター通りの商店街などにも参考になるような気がした。
まず訪れたのは、丘の上にあり、世界遺産のプラハの旧市街を見下ろす絶景の住宅地に立つミュラー邸。これは「装飾は罪」というテーゼで有名なアドルフ・ロースの後期の住宅作品である。「ラウムプラン」と呼ばれる立体を生かしたプランニングの住宅として有名だ。空間は体験してみなければわからないと日頃感じているので、是非見てみたかった。建物ガイドの人に説明してもらいながら、家のリビングルームと半階上がったダイニング、パーティの時にいろいろな場を提供するための夫人のための空間、少し他とは隔絶した客との談話を兼ねたライブラリーなど。レベル差を使った空間のつながりなど単純に納得できる作品でわかりやすい構成だ。ただ、驚きはなかった。構成する要素に装飾はないが、そのかわりに裕福な施主を満足させる材料を巧みに使い、質感を表現している。むしろ、施主の要望に丁寧に対応しているきめ細やかさに驚いた。
次にチェコ第二の都市ブルノに世界文化遺産でもあるトゥーゲンハット邸を訪れた。繊維業で成功したユダヤ人トゥーゲンハットの邸宅はそこから見えるブルノの街の風景が素晴らしい。 朝ランニングでまわって見た聖ペテロ聖パウロ教会とシュピルベルク城の2つのランドマークが見渡せる絶景である。この景色が気に入ってこの地を購入したと聞く。新しい建物はほとんどなく、古都の街並みも当時とほとんど変わらないであろう。その景色を家族やゲストは水平に連続するどの部屋からも見渡せる。メインフロアの1階には壁がなく、連続する一つの空間となっている。オブジェのような半円筒形の無垢の木による仕切りと大理石の大きな無垢の壁によって空間が分けられるが、すべてがスムーズに繋がっている。すべてのものが家族のための独自の設計となっている。また部屋には家具をはじめミースのものしか置かれなかった。南側はすべて4.8m×2.6mのガラス張りの連続だが、うち2か所は電動で開閉し、床下に格納される。また地下室を大きなチャンバーとした冷暖房のエアコン装置が備えられ、シンプルだが大がかりな装置を挿入し快適な暮らしを享受できるように設計されている。けた外れのお金の使い方であることが容易に想像できる。ものに対する執着、お金に糸目をつけず、実現させる執念に腰を抜かした。ロースより16歳下のミースは、この住宅作品により、すべて想像を超えた世界に導いたように見えた。
三つ目はウィーンでストンボロー邸を見学した。建築研究者またはヴィトゲンシュタインに興味のある人にしか意味を見出しにくい難解な作品であった。建築に興味がある人でも何が何だか理解しにくい住宅だと思った。
旅の終わりはハンガリーの首都ブタペストである。同じく世界遺産の街並みが美しかったが、ここで面白かったのは旧ユダヤ人地区に点在する廃墟バーであった。社会主義時代の数十年の間に空きビルや空き地が増え、荒廃したところ。2000年の初め頃、それを逆手にとって、崩れかけた建物にアーティストの作品を飾ったり、ダンスフロアをつくったバーが登場し、新たなトレンドが始まった。窓は板で塞がれファサードは煤けて、まるでただの廃墟のように見える建物。それを利用した廃墟バーが今では30軒ほどあるといわれている。アンダーグランドな雰囲気漂うブダペストらしい文化の発信地となっている。ある種の停滞がもたらした産物でもある。夏季であったので中庭も解放された半戸外のガーデンバーとなっていた。居心地が良かったものだから、我々も二度ある廃墟バーに訪れて楽しんだ。木造が多い日本では難しいところもあるが、荒廃したシャッター通りの商店街などにも参考になるような気がした。
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