アーキプラス

2015.10.31

46.教えることで教えられる

コラムcolumn
日本大学生産工学部建築工学科居住空間デザインコース 授業の合い間にて
設計のエスキースでは2人の先生を囲み、この日は12名参加。ここも全員女子。
 学生時代に家庭教師や塾の個人授業を数多くこなした。おかげで他のアルバイトを加えると人並み以上の小遣いを稼ぐことができた。しかし、教師というのもおこがましく、プロの家庭教師にはほど遠かった。むしろ一緒に考えてあげる一種のカウンセラーのようなものであり、生徒にとっては精神安定剤のようなものであったと思う。ただ、困ったのは大学院時代に大学受験の高校生に物理・化学・数学を教えることになったときである。受験時代には解けそうになかったものまで教えなければならない。時間稼ぎをしながら、必死に解く、火事場の馬鹿力とはこういうものであろうかとばかりに何とかカバーをする。受験時代にもっと必死にやっていれば、もう少し今より何とかなったのにと、今更ながらにも後悔もする。お金をもらっているから、ただじゃ済まされない。しかし、対話の仕方をいろいろと憶えたように思う。今までできなかった1対1のコミュニケーションの方法、特に生徒目線に立って、わかりやすく説明するこつをむしろ生徒から教わったように思う。
 今から20年ほど前、ある建築学科の教授をしている大学院時代の先輩から非常勤講師はどうかと声をかけていただいた。人前でしゃべるのは上手くないし、若い学生をグイグイッと引っ張って行くようなタイプでもない。さて困ったぞ、しかし、一度は体験してみるのもいいかなと思い、緊張しながら出向いて行くことになった。2年生の設計の課題の授業である。建築学科の学生にとって最初の本格的で大切な設計の授業である。1学年150人いる学生を5人で分担して、1人30人を受け持つ。しかし、学生によって課題に向き合う温度差が激しい。高校生のころから建築が好きで研究していたものから、漫然と建築学科を選んだだけで、何も知らない学生まで様々である。でも、それなりに純真に一生懸命に向かってくる学生たちにそれなりの対応をすることは、思いがけず、楽しいものであった。そのおかげでいろいろな関係が今でも続いている。最初に教えた人たちから、事務所のスタッフになった人、スタッフの夫になった人などいろいろ生まれた。企画会社、出版社、構造設計などで今もお世話になっている人、フットサルで一緒に汗を流したり、旅先のニューヨークの居酒屋で飲んだりする人もあり、初年度で顔を合わせた人で、何故か、今でもお世話になったり、お付き合いしてもらっているが多い。とてもうれしいことである。
 2,3割いた女子学生は目的意識がしっかりしていて、なかなか優秀であった。しかし、ある程度教えることに慣れ始めたころ、言葉尻をとらえてある女子学生を攻撃した。いつになく強い口調で言ってしまった。彼女に涙が溢れた。次の授業には来なかった。これで建築が嫌いになってしまったかもしれないと思うと気が重くなった。以降無意識で使う言葉に気をつけるようになった。以降、多面的に評価をすることを心掛けている。
 女子大から声がかかった。これにも躊躇した。何しろ、女性に対しては上手くものを言えない自分に、全員女性の中で何を教えることができるのかと。しかも、名門の女子大学である、しかし、仲間の建築家からの後押しもあり、何故か引き受けることになった。やってみるとこれもまた、意外なことに楽しんで教えることができた。行けば多少免疫力がつくのかわからないが徐々に慣れてくるものである。そこでは、女子校の独特の雰囲気を感じることができた。ここでの中心はグループ課題であった。お互いのチームワークを競い合うことになる。グループ同士の互いの対抗心があり、中には空中分解するグループもあったが、結束して1人ではとてもなしえない力をつけ、がんばってくる。女子だけという環境の集団力学を見るという貴重な体験をさせてもらった。
 今、教えている大学は2002年から、初めて14年目である。そこで担当しているのは、15人ぐらいの学生に2人で設計の授業である。これは、理想の教育環境だと思う。異なる見解をぶつけながら、学生に対して、こちらの思考を主張する。普段の頭と使い方と違う楽しいバトルでもある。
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