アーキプラス

2015.11.30

47.仏蘭西的飲酒

コラムcolumn
写真:ボジョレーパーティ2015のラインナップ。2014は樽を用意した。
おいしかったが、最初から最後まで同じ味であったため今年はいろいろなワインを用意した。
 11月19日 木曜日に事務所で30人ほど集めて恒例のボジョレーパーティを開いた。ボジョレーは熟成の早いワインで、フランス政府が混乱を避けるために解禁日を定めたものである。その日からパリの街角に「Le beaujolais nouveau est arrive」(ボジョレーヌーボー到着!)という看板が出るのが、秋の風物詩という話を学生時代から聞いていた。以前から興味があったが、それがバブル期に日本で大ブームになってしまった。当時は、ボジョレーヌーボーの解禁日に盛大なパーティをやった憶えがある。したがって、その流れがあり、 少々気恥ずかしいものがある。97~98年のワインブームの頃、事務所を六本木から中野区の住宅地に移した。周りの環境に少しさみしさを感じて、所内で飲む会をこぢんまりと初めて以来、毎年続けている。飲みやすくて、手頃な値段で、季節感があるので日本で定着し、今や世界最大のボジョレーヌーボーの消費国であるそうだ。しかし、ワインを手軽に親しむにはいい機会だと思う。
 子供の頃ワインといえば、赤玉ポートワインのことであった。クリスマスや正月に1杯だけ飲む甘いお酒であった。ワインについては、大学を卒業したあたりから少しずつ接する機会が多くなったが、日常的に飲むようになったのは、1981年のヨーロッパ建築一人旅の時からである。その時フランス、ブルゴーニュ地方の州都で食の街ディジョンを訪れた。ディジョン大学(現在のブルゴーニュ大学)ではCours de cuisine(料理講座)、といっても、シェフが大学の厨房でフランス料理の作り方を解説し、終わってからそれを食べるという講義に参加した。フランス語がよくわからず、結局、ワインをみんなでがぶがぶ飲みながら、楽しく食事するだけのものであった。楽しくて2回参加した。学生食堂メンザでもワインの小瓶が並び、食事の際の日常的な飲料となってきた。また夜汽車の友としてテーブルワインは重宝した。
 夕方、カフェのカウンターでは、仕事を終えた労働者たちが、水で割ると白く濁る黄色のリキュールをおいしそうに飲んでいる。PERNOD、RICARD、51とか書いてある。甘いが、現地の歯磨きのような薬臭い味がする。決してうまいといえるものではなかった。それらは南仏地方のパスティスと呼ばれる食前酒であった。ニガヨモギを加えて作る香草系リキュール「アブサン」の代替品として生み出されたものである。そのアブサンとは安価なアルコールとしてヴェルレーヌ、ロートレック、ゴッホなど19世紀末のフランスの芸術家たちによって愛飲され、多くの身を滅ぼしたとされる強い酒である。安価なアルコールだったために多数の中毒者や犯罪者を出し、製造が禁止されていた時代もあった。一時は成分に問題があったとされたが、それは問題なかったため、現在は、普通に「アブサン」も売られている。しかし、代替品のパスティスは食前酒として広まった。南仏ブームもあり、東京ではバーに行けば、どこにでも置いてあるものになった。旅行後、何故かその味が懐かしくなって、飲んでいるうちにだんだん好きになり、お気に入りのリキュールとなった。店によっては、アブサンも置いている。私は食前酒ではなく、最後の締めの一杯としてアブサン又はパスティスをいただいている。
 今年の7月にチェコのプラハに訪れたときにそのアブサンに出会った。だいぶ味わいが違う。だいぶ辛めでより薬臭い。当地のアブサンはボヘミアン・アブサンと呼ばれるものでフランスのものとは製法や成分が異なるらしい。チェコはこのボヘミアン・アブサンの中心地であるそうだ。同様にハンガリーには甘くなく養命酒を濃くしたような薬臭い酒「ウニクム」があった。ソーダで割るとこれが結構いけた。東欧ではこのような、独特の味わい酒が多い。味はフランス系のお酒の方が好きだが、癖になる味だ。当時の芸術家たちのように身を滅ぼさないように気をつけて、少量ずつ愛飲している。

註 arriveのeには アクサンテギュー「’」がつきます。
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