アーキプラス

2016.04.30

52.アレルギー反応

コラムcolumn
写真:吉祥寺ハモニカ横町 清水屋の漬物
 この近年マスクを着けている人が増えた。SAASなどの感染症対策以来目立つが、年末から厳冬期の多くは風邪やインフルエンザのためで、春先にかけてはほとんどがアレルギー性鼻炎(花粉症)ではないかと思う。40年以上前にそのアレルギー性鼻炎(花粉症)になった。当時自宅(実家)に近くの団地の中学生を呼んで家庭教師をしていた。春先の土曜日の朝、寝起きのままでの状態で教え始める。鼻がむずむずする。大きなくしゃみが出る。立て続けに何回もでる。「ごめん。なんか変だね。」あっという間に屑かごの中がティッシュでいっぱいになる。その時は、何か変だなと思っただけである。しばらくすると多少おさまってくる。最初はその程度であったが、そのうちにだんだん症状がひどくなる。数年して隣家が耳鼻咽喉科の医院であったため、見てもらう。そしてそれがアレルギー性鼻炎(花粉症)であることがわかった。
 20代後半仕事をし始めたころ、春先になるとさらに症状がひどくなる。マスクをして鼻や口の近辺を覆い、湿った暖かさになると多少和らぐ、ハッカやミントなどの刺激を与えると鼻の毛細血管が広がり鼻の通りが良くなる。しかし激しくなると頭がぼぅーっとしてくる。鼻が詰まり、鼻水が止まらず、目や喉がはれてくる。そうなってくると仕事にならない。珍しく早退し、隣家の先生に抗アレルギーの強い薬で抑えてもらうことになる。鎮まるが、翌日極度の眠気に襲われる。これも仕事にならなくなる。こんな強い薬を飲んで大丈夫かと心配になる。そんな春先は憂鬱であった。
 なぜ急にそうなったかを後で自分なりに分析してみた。
① その頃突発性難聴になったため運動を控えた。そのため代謝機能が衰え、肌身をさらす機会が急激に少なくなり、粘膜の機能が衰え、温度変化に過敏になった。
② また以前住んでいた世田谷から保谷市(現西東京市)に移ったあとであり、戦後植えられた杉の大軍が控える、奥多摩、奥秩父に近くなったこと。2月、3月は北西の風に乗って花粉が運ばれるらしい。
③ モータリゼーションが右肩上がりで隆盛の頃、大気汚染が問題になったころでもある、アレルギー問題とは別だが、光化学スモッグが生じ、健康被害が報じられ始めたころと同期する。
 それが、20年ほど前に「いい薬が出たらしい。」内科医である妻から話があった。「アレジオン」という薬であった。現在では市販もされているらしい。飲んでみると今まで苦しかったのが嘘のように感じられるほど症状が出ない。薬はその人により合う合わないがあるから一概には言えないが、私の場合、完璧に効いたのである。以降20年ほど使い続けているが、さしたる副作用のようなものはない。花粉症の人たちを見ても「大変そうだなあ。」と他人事のように思えるようになった。花粉症に対して無意識になったためか、時折症状が現れると「風邪をひいてしまったかな?」と思ってしまう。妻に症状を話すと「それは花粉症ではないか?」といわれる。「そういえばそうだ。」と思い、点鼻薬、点眼薬をさす。たちまち症状が消える。しばらくは全く症状が出ない。私としては、非常にありがたい薬の効用である。最近かかり、苦しんでいる人達を横目に見ながら、助かったなとつくづく思うのである。
 ところで、食べる物の中で、私はキューリと漬物が大の苦手だ。小さい頃から今まで何回か試みているが、駄目である。会食の際「食べられないものはありますか?」聞かれるといつも2,30分ぐらいは会話がつづく。「何故?」まことしやかな理屈をつける。好き嫌いに理由はない。くだらない話で盛り上がる。多分精神的なものの蓄積で、一種のアレルギーみたいなものかもしれない。野菜は大好きで毎日の主食のように食べるが、漬物は新鮮な野菜を腐らせたようなにおいが気になって食べられない。子供の頃から染みついた観念である。家族はみんな大好きであったが・・・。こいつに効く薬はないものだろう。
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