アーキプラス

2012.04.30

4.逆らい続けるキューバ

コラムcolumn
オマーラ・ポルトゥオンドがこのゴールデンウィークにブルーノート東京に出演する。
 オマーラは「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」(1999年)にも紅一点で登場した長年にわたってのキューバの歌姫である。今回はキューバ・ジャズの巨匠チューチョ・ヴァルデス(p)との競演だ。チューチョ・ヴァルデスは1970年代に「イラケレ」というバンドを結成し、ラテンとジャズとアフリカ音楽を融合させ強烈なサウンドで世界中に旋風を巻き起こした。閉鎖的な感のある社会主義国の暗いイメージを払拭した出来事だった。そのイラケレのコンサートを1980年7月日本青年館で聴いた。身体能力あふれた超人的な演奏に驚嘆したのを憶えている。一遍でキューバ音楽が好きになった。その後もモダンジャズからポップスまで高度な音楽性を維持している。
 2005年11月葉巻好きの友人達とキューバに行き、首都ハバナで一週間過ごした。キューバは葉巻の名産地で最高級のブランドが多い。葉巻マニアにとって、キューバは聖地でその買出しに行くようなものだった。持ち出せる本数に制限があるため、非喫煙者である私も運び屋?として協力した。対立しているアメリカ経由の便がないため、カナダのトロントで1泊してからの入国である。世界遺産であるハバナの旧市街は唄であふれていた。レストランやバーには、どこからともなく流しのようにミュージシャンが現れ、突如ライブハウスと化す。いずれもプロのミュージシャンだが、国家公務員でもあり、原則は国から給料をもらって暮らしているそうだ。外貨獲得のために国が観光に力を入れているからだ。
 街で見かける車の多くはポンコツ車で50~60年にわたって使われ、乗り合いタクシーなどで使われている。比較的新しい車両は、国営企業の所有するもので、座席が空いていていたら無料で相乗りを拒否できない法律となっている。したがってヒッチハイクは公認である。国のものは人民のものであり都合のつく限り平等に使おうということだ。資源を大切に使い、助け合いの精神を保っている。
 キューバも現在の日本と同様に食糧は輸入に依存していた。住宅地に行くと食糧配給所が目に付く。市場などでも買えるが、主だった食糧は配給である。ソ連崩壊の後、90年代アメリカの第三国も巻き込んだ経済制裁法による理不尽な経済封鎖によって深刻な食料不足に陥った。そこで食生活の見直し、食糧の自足率を高めるさまざまな努力がおこなわれた。都市内での野菜の栽培や家畜の飼育が試みられたり、農村では有機農法によって既存の資源を使った効率のよい農業に転換したという。そして危機をしのいだ。逆境が生んだ進化である。
 医療と教育は原則無料だそうだ。お金がなくても、能力と意志があれば進学できる。事実、キューバの医師の数は多く、人口に対しての医師数は、日本やアメリカよりもはるかに多く、地域格差も少ないといわれる。医療水準も高く、平均寿命は先進国並みだといわれる。また、低開発国や被災地の支援などに協力して、国際貢献を国をあげておこない、国際的に評価されている。
 キューバは経済的な水準は低いが、生活レベルは低くない。社会主義国であるがための不自由さはあるかもしれないが、何故か人々の表情は明るく、文化的に豊かに暮らしている。ヴェトナムとともにアメリカに逆らい続けた国は凄いと思う。どこかの軍事国家は別として。
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