アーキプラス

2016.08.31

56.マイナスの遺産をプラスにする

コラムcolumn
写真:NSセンターミュンヘン
   ネオナチが嫌うようなシンプルであっさりとしたデザインである。
 あるクライアントの企画のツアーで8/15~8/22にミュンヘンとザルツブルグを訪れた。今回は楽しい観光と音楽の旅であった。
 ミュンヘンは、いままで2回訪れた。一度目は1981年で旧市街の歴史的建築物とオリンピック関連施設を見た。構造家フライ・オットーによる巨大なマストでテントを吊り下げたようなデザインのスタジアムや体育館は、柔らかな曲線が起伏のある地形に見事に調和していた。このオリンピックの丘は第2次世界大戦時に爆撃を受けたミュンヘンの建物のがれきでつくられたという。オリンピック終了後は市民の健康づくり、スポーツ活動、憩いの場として機能しており、オリンピック施設の恒久的利用として、高く評価されている。選手村は1972年に悲劇も起ったが、選手村の小さな集合住宅群もとてもヒューマンスケールで、一般に賃貸住宅として活用され、若者たちが楽しそうに暮らしていた。2度目は1997年にヘルツォークde ムーロンのゲーツ・ギャラリーにオランダからスイスに渡る途中に訪れた。今回の3回目はツアーだったが、合間を縫って、オリンピック公園の近くにあるBMWヴァルト(ショールーム)を見学した。設計はコープヒンメルブラウ。いわゆる脱構築的建築で私は距離を置いていたが、外観はともあれ、内部空間はすっかり一般客に馴染まれており、近未来的光景をつくっていた。
 ツアー中盤は、ミュンヘンから少し足を延ばして、ノイシュヴァンシュタイン城やヘレンキムゼー城といった観光名所を訪れた。共に「狂王」の異名で知られるバイエルン王ルードヴィッヒ2世がつくったものである。彼は神話に心酔し、建築と音楽に破滅的浪費を繰り返した。当時の為政者はそれを危惧する中で、謎の死を遂げた。それらは未完成部分を多く残したまま中止された。「私が死んだらこの城(ノイシュヴァンシュタイン城)を破壊せよ」と遺言していたが、直後から城と内部は市民に一般公開された。この城は、ウォルトディズニー眠れる森の美女のモデルとなった城である。文化的、歴史的にも文脈の切れたスタイルは私には違和感があったが、当時最先端の蒸気クレーンで山上に幻想的に構築された姿は、いまやドイツで一番の観光客数を誇る観光スポットとなり、観光のバイエルン州を潤わせている。同じくバイロイト祝祭劇場も残し、世界中から音楽愛好家を集めている。
 後半はオーストリアのザルツブルグである。市街の歴史地区はユネスコの世界遺産になっている。モーツァルトとカラヤンが生まれた地でもあり、ヨーロッパ最大の音楽祭「ザルツブルグ音楽祭」が開催されていた。猫に小判かもしれないが、当日「ドンジョバンニ」のチケットを調達し、その優美な雰囲気を楽しむことができた。
 しかし、今回の旅で印象深かったのは、2日目の最後に訪れたナチス・ミュージアム(NAZI MUSEUM)であった。ミュンヘンはナチス発祥の地である。去年(2015年5月)オープンし、ナチス党本部の跡地に建てられた。正式の名前は「NSセンターミュンヘン 国家社会主義の歴史に関して教育記憶の場所として」である。連邦政府、バイエルン州、ミュンヘン市が共同出資で建設した。何故ミュンヘンでナチス党が広まったのかから始まり、現在まで記録されている。ユダヤ人の強い働きかけがあったにせよ、長い年月をかけて行政が、二度とこのような過ちに陥らないような訓戒として記録を残すことは幾多の困難が待ち構えていたに違いない。第一次大戦後の情勢とナチスが生まれるまでの過程、差別と独裁の恐怖時代、第二次大戦後から現在までの記録を上階から淡々と降りながら次から次に情報を受け取ることができる。ミュンヘン市民の多くはバカンス中で入館者は閑散としていたが、このように過去の負の遺産を行政が自ら隠さず残すことはすばらしいことだ。それを未来に生かすことができれば立派な資産となりえると思う。
Copyright(c) 谷内田章夫 無断転載不可