アーキプラス

2017.04.30

63.至福のジャズクラブ

コラムcolumn
 先日、妻とブルーノート東京に行った。チック・コリア・エレクトリック・バンドの出演であった。チック・コリアのコンサートは1973年1月のリターン・トゥ・フォーエバーが初めてであった。考えてみれば、もう45年もたつことになる。当時30歳の気鋭のジャズ・ミュージシャンも今はもう75歳となった。しかし、以前よりも少しスリムになったせいか、若々しさが漂い、とてもその年には見えなかった。ブルーノート東京でも10年前に聞いたことがあった。亡き母を車椅子で連れて行ったときである。アンコール演奏後、通路で彼とハイタッチをした覚えがある。サービス精神旺盛な大御所である。
 ブルーノート東京は年に2,3回は行く。ニューヨークの本家ブルーノートやビレッジバンガードにも行ったが、割合と簡素であった。それに比べて、このブルーノート東京は天井高、広さ、設備、料理とお酒、どれをとっても非常に豊かで洗練されている素晴らしい「箱」である。当初のブルーノート東京は既存のビル改造で天井も低く、中央に柱があり狭い印象があったが、1998年に移転した後は、専用ホールとして作られたため、動線計画もよく、オペレーションもとてもスムースである。こんなに恵まれた空間は私の少ない経験の中からではあるが、世界中にない。毎回、ジャズとワインと料理で至福の時を過ごす。
 ニューヨークでは、現在「ジャズ・アット・リンカーン・センター」がジャズの一大拠点である。リンカーンセンターはニューヨークのセントラルパークの南西にあり、ジュリアード音楽院、メトロポリタン・オペラハウスなどクラッシックを中心とした総合芸術施設群をさす。「ジャズ・アット・リンカーン・センター」はその構成する1部門である。セントラルパークの南西端に建つ再開発ビル、タイムワーナーセンターの中にある。建物の設計は東京フォーラムのラファエル・ヴィニオリである。大中小の3つのホールがあり、スタジオやレクチャールームを有し、公演、教育、放送関係のイベントを制作しているジャズの殿堂である。ウィントン・マルサリスが芸術監督で全米のジャズの情報基地でもある。中ホールの「アレン・ルーム」は 483席あり、ステージの奥にはセントラルパークを見下ろす15m×27mガラスの壁面があり、摩天楼がバックのステージとなる。まさにこれぞニューヨークという設定が見事だ。残念ながら、ここではお酒は飲めない。「ディジーズ・クラブ・コカコーラ」は140席のジャズクラブで、ここはお酒・食事を楽しむことができ、同様にガラスのスクリーン越しに楽しめる。私はここが一番好きなスポットだ。
 初めてジャズクラブに行ったのは、大学3年の秋、銀座のJAZZ CLUB「JUNK」であった。友人の勧めであった。考えてみれば随分贅沢で生意気な学生であったが、自宅から通い、家庭教師や設計事務所でのアルバイト代がたまるとあまりお酒を飲みに行く習慣もなかった大学生にとって刺激的な空間であった。「JUNK」では渡辺貞夫が率いるヤマハ・リハーサル・オーケストラが登場し、当時20代前半であった向井滋春、土岐英史など若手の実力者たちが熱演を繰り広げていた。以来、自由が丘「ファイブスポット」、代々木、お茶の水の「ナル」、新宿の「木馬」などでジャズライブを聞くようになった。
 チック・コリアのコンサートは相変わらずの盛り上がりで終わった。興奮冷めやらぬ中、徒歩3分のところになじみ(といっても年に2,3回位しか行かないが)のジャズクラブ「ボディ・アンド・ソウル」へとはしごをした。この店は1978年に当時の六本木の店に行ったのが最初で以後、40年近く通っている。1992年現在の南青山のマンションの地下の空間に移って、25年になるそうだ。こじんまりしているが充分な広さ、アットホームな雰囲気、料理もお酒も充実していてとても居心地がよい。世界のトップ・ジャズ・ミュージシャンに顔が利くステキな名物ママさん関京子さんのなせる業である。彼女をインスパイアしたようなジャズクラブを設計できたらと夢のような妄想にふけってしまった。ステージの後ろがガラススクリーンで青山墓地の樹木をバックに東京の夜景が浮かんでいた。
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