アーキプラス

2017.05.31

64.エスニックタウン

コラムcolumn
写真:スリランカ料理APSARAのスリランカカレーのバナナリーフ包み
 高田の馬場に事務所を引っ越して12年になる。当時は、ラーメン屋激戦区とかラーメンの聖地とも呼ばれ、ラーメン屋さんがひしめいていた。「えぞ菊」は45年前から通っていたが、いろいろなジャンルのラーメン店が集結していた。
 2008年6月の出没!アド街ック天国[祝副都心線開通 西早稲田]でラーメン激戦区として紹介された。中でも先頭に紹介された「北狼」はアバンギャルドなラーメン屋で「白」「黒」「赤」「黄」非常に個性的なラーメンを提供していた。店主とも仲良しになり、常連客として、食材を分けてもらったりしていた。しかし、学生には、厳しい態度で接するためだろうか、徐々に客足が落ち、数年前店を閉鎖してしまった。レシピを提供し、暖簾分けした「とも狼」という店が大阪のJR難波駅近くにあり、関西方面に行くときには必ず立ち寄る。私は隠れたラーメンマニアであった。
 高田馬場の隣駅、下落合に30年ぐらい前3年ほど住んだ。(ヤチダヨリ#「棲家遍歴」参照)土曜の晩に妻と馬場に出て食事をした。その頃は、リストランテ「文流」、餃子荘「ムロ」、アフリカ料理「クスクス」、パキスタンカレー「ラージプート」などがあり、幅の広い「食」を楽しんだ。
 インド大使の公邸があるためか、カレーの店も多い。カレー店のバラエティも相当豊かなラインアップといえる。「夢民」(惜しまれて閉店してしまった)などオリジナリティの高い店も多かった。以前から、タイ料理の「ティーヌン」やミャンマー料理屋もあり、非常に豊かな食の世界が構築されようとしていた。カンボジア料理、ベトナム料理なども加わり、「エスニックタウン」になろうとしている。
 高田馬場近辺に外国人が、最近特に増えてきたような気がする。一番多いのが中国系の人達である。中国人による中国料理の店ができ、客も8割方中国人という店が多くなった。本場の味が楽しめる。次に多いのが韓国の人達、言葉を聞いていればわかる。この付近には語学学校を中心とした専門学校が多いせいだろう。かといって欧米系の人も目立つ。早稲田大学の留学生や旅行者達だろう。また、アフリカ系やイスラム系の人達も見かける。まさに人種の坩堝(るつぼ)といった感じの街になりつつある。
 以前近くに行きつけの酒屋「いせかね」があった。小さな店の割合に酒の種類が豊富であった。小さなペンシルビルのオーナーである御主人がブルゴーニュワインに詳しく、地階に空調をつけワインセラーにしていた。趣味の店のようなマニアックな店であったが、5年ぐらい前に閉じてしまった。その後いくつかの店舗が地下を使ったカフェを開いたが、今度はスリランカ料理を中心とした店になった。早速行ってみた。バナナリーフでくるんだカレー料理があった。スリランカは、米食、仏教、海に囲まれた海洋国という意味では日本文化と共通点がある。インドカレーとは異なり、スリランカカレーは、ココナッツミルクなどで割り、脂分の少ないさらさらしたスープ状のものをナンではなく、インディカ米に肉、魚、野菜と混ぜながら食べるヘルシーなカレーである。5年前、スリランカを旅行したこともあり、懐かしの味を賞味できた。スリランカカレーの店は新宿甲州街道沿いなどにあった「コートロッジ」が閉店して以来、味わえなかっただけに、間近にスリランカカレーの店ができて嬉しくなった。継続するように贔屓にしたい。
 同じく贔屓にし、パーティの時にデリバリーを多用していた香港料理の「華翠苑」が火鍋を始めた。以前北京でも体験した四川火鍋であるが、香港のそれは、巴型に2つに別れ、2種類のスープが楽しめるものである。以前香港の街で食べた火鍋と同じスタイルである。このような食文化の多様化の現象は、この街だけではなく、外国人の労働力に頼らなければならない社会の中で、普及してゆくだろう。いろいろな国の本物の料理が日常食せるのは、嬉しい限りである。
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