アーキプラス

2012.05.31

5.住む場所に影響を与えるベクトル

コラムcolumn
設計:谷内田章夫/workshop  phote by Imbe Isao
設計:谷内田章夫/workshop  phote by Imbe Isao
設計:谷内田章夫/workshop phote by Imbe Isao
2012年度グッドデザイン・ベスト100「インゲン」
 東京スカイツリーが開業した。さして形が格好よいものでもないけれど不思議と大変な人気である。でも東京の人の流れが変わり、下町が注目されるのはとてもいいことだと思う。この方面は今まで過小評価され続けてきた。どちらかというと東京は南西方向に人気がある。いわゆる城南地区に高級住宅街があり、いわゆるおしゃれな街が多い。でもその人気だけで都市が成り立つものでもない。人はそれぞれ気に入った場所で暮らす。志向の多様性が都市の魅力をつくると思う。それでは人の住む場所を決定する要因はなんだろうか。
 職場と郷里を結ぶ線上に居を構えることが多いという人がいた。居住地を決める要素は、そのほかに学生時代に居住していたところ(大学などの近くに住んでいた場合)や配偶者の実家の位置なども影響を与えると思われる。慣れ親しんだ場所と利便性がよいというところで決まるのがおおかただ。その中でもやはり活動の中心の場と郷里の方向は決定付ける最も大きな要因だと思う。しかし、これは実証的なデータに基づくものではない。人から聞いてなるほどと思っていたことを、その後しばらく周りの人に当てはめて、少しずつ検証したうえでそう感じている。
 東京周辺で言うと神奈川、東京の城南地域は近畿東海を含めた日本の西側出身者の数は、東と北の人たちに比べて圧倒的に多い。明治維新以降活躍した、政財界文化人も圧倒的に多い。したがってこちらのエリアは早くから栄え、港区、目黒区、渋谷区、世田谷区などは人気が高い。それに比べて、東と北の方面は中部日本から東北にかけての地域を後背地となるためいささか分が悪い。特に東は千葉や茨城の先は海でさらに分が悪い。しかし、都心部への通勤時間の短さや道路整備等の充実や臨海都市や都市リゾートとの連結などで意外と健闘している部分も多い。
 卑近な例で恐縮だが、私は、父の出身地で勤務地である新潟市で生まれ、父の転勤で3歳のとき東京の小金井市に引っ越してきた。5歳のとき世田谷区の桜丘に新築の社宅ができたのでそこに移った。しかし、1960年代の後半から、都市のドーナッツ化現象が進行し、都内から郊外に住居が拡散していった。私が18歳になると父親が西東京市のひばりが丘に家を買い、引っ越した。世田谷の小田急線の千歳船橋に慣れ親しんだ私たち母子は、多摩川を越えた登戸とか向ヶ丘遊園あたりを望んだ。事実、当時まわりは川向こうの神奈川方面に転居する家族が多かった。それなのに父が選んだのは我々があまりいったことのない方向に向かった。ひとつには、大手町まで通うのに池袋経由のほうが近かったということもあるかもしれないが、知らず知らずのうちに郷里という引力に引っ張られたのではないかと今では思う。確かにこのあたりに住んでいる人は信州北陸方面の人が多かった。
 しかし、情報社会の発達で昔ほど地域差がなくなり、そのベクトルの強さは以前より薄れてきたような気がする。日本橋久松町でアパートメントを計画しているが、大通りから少し中に入った静かなエリアである。かつては問屋街として江戸時代から栄えた所でもある。どのようなベクトルが引き合って人が集まってくるのだろうか。
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