アーキプラス

2012.06.30

6.英国贔屓

コラムcolumn
 今年はオリンピックイヤーだ。1948年以来64年ぶりに7月ロンドンで開催される。我々の世代ではオリンピックといったらなんと言っても東京大会が思い出される。しかし私は幼少からスポーツ好きではあったが、東京大会にはあまり興味がなかった。というのもその年はビートルズ旋風の年だったからだ。オリンピックどころではなかった。私が中学校に入る年の年頭にビートルズ・ブームがヨーロッパからアメリカにうつり、直ちに全世界を駆け巡った。その夏ビートルズの映画「HARD DAYS NIGHT」が封切られた。年上の高校生のお姉さんたちが総立ちでスクリーンに向かって絶叫し、後方の席では映像はおろか、音も絶叫でかき消され何が何だか分からない状況であった。中学校に入ったばかりの私にとって、制服、腕時計、フォークダンスなどすべてが新鮮で新しい出来事だったが、その中心にビートルズがいた。竹内まりやが「マージービートで唄わせて」で≪64年のレコード棚にある心震わせたあのメロディ?・・・≫と呼ばれる1964年のことである。
 日本では1962年のデビュー以来の曲が一斉に登場した。晩秋に発売された「アイ・フィール・ファイン」までドーナッツ盤と呼ばれるシングル盤が14枚発売された。ほとんど友人を通じて[また借り]して聞いたが、アルバム「ミート・ザ・ビートルズ」は小遣いを貯め、やっとの思いで購入。毎日2回以上レコードの溝がすりへるまで聞いた。瞬く間に「英国贔屓」になった。
 その2年後にビートルズは来日した。狂騒のなかで3日間5回のコンサートである。中学3年当時必死の覚悟でチケットを手に入れ、そのうちの1回を聞いた。神様のように思っていた彼らを見に出かけた。ところが当時の音響システムは充分でなく、非常に聞きにくかった。歌を聞くどころでなく、神様は実はヘタクソというか手を抜いていると子供ながらに感じてしまった。音楽への興味はすでにロック、フォークソング、ボサノバ、モダンジャズなどに広がっていたが、ビートルズは少し薄らいでいった。
 高校に入ってサッカーをやるようになったが、ワールドカップ・ロンドン大会でのイングランドの優勝の映画「ゴール」を見たりして、英国への憧れはさらに強まっていった。
 1981年その憧れの国にはじめて訪れた。4ヶ月間ヨーロッパ建築ひとり旅の終わりのころである。3ヶ月のユーレイルパス(イギリスを除いたヨーロッパの鉄道のフリーパス)の有効期間が終わったあとに行った。しかし、お金は尽きていて、チェルシーのドミトリーに5泊ほど泊っただけである。ロンドン市内だけであるが、学生時代愛読していた植田実さん編集の「都市住宅」誌にでていた集合住宅を見まくった。
 その後1990年やミレニアムイベントがにぎやかだった2000年ころに何度か英国を訪れた。ハイテク的表現を生かした新しい建築空間を見たかったからだ。そのころイギリスの建築家はその先進性から世界中に出向いて仕事をしていた。そういえば1960年代にイギリスで結成され、70年代初頭まで活躍した前衛的建築家グループ「アーキグラム」というグループがあった。彼らは斬新なアイディアとグラフィカルな表現で建築界に強烈なインパクトを与えた。メディアを通した発表に実作はなく、アンビルトでコンセプトによって既成の建築的規範から乗り越えようとした。英国への憧れは保守的な文化や生活に興味があったからではない。私にとっての英国は、古い枠組みを壊し、概念を拡げてゆく人たちへの憧れであったのだと思う。
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