アーキプラス

2019.03.31

83.スーパースターの終焉

コラムcolumn
 野球ファンにとって1月は自主トレ中で話題が何もない月である。開幕戦が待ち遠しく感じていた。そこにメジャーリーグの開幕戦が東京ドームで3月20日、3月21日に行われ、チケットの抽選が開始されるとの情報が入った。対戦カードはオークランド・アスレチックスvsシアトル・マリナーズである。マリナーズには、イチローがマイナーに所属だが、まだ現役でいる。また、お正月には、菊池雄星の入団が報じられていたところであった。ひょっとしたら、二人の雄姿が見られるのかなと期待した。早速応募した。いい席が入手できた。野球好きを誘って観戦することにした。直前の情報では2試合ともイチローはスタメン出場し、2戦目には菊池雄星が先発出場することが伝わっていた。期待は膨らんだ。第2戦目、 菊池雄星が先発し、イチローはやはりスタメンであった。試合開始の直後にイチローがこの試合限りで引退となり、試合後、記者会見を開くという情報が入った。
 1974年10月14日大学の授業は自主休講し、長島茂雄の最後の雄姿を見ようと後楽園球場に駆け付けた。アンチ巨人で過ごしてきた私にとって、長島茂雄は宿敵であった。チャンスにめっぽう強く、ここで打たないでほしいという場面では、いつも打つぞ打つぞと構えて、巨人ファンの願いをかなえるタイムリー・ヒットを打っていた。その宿敵も最後となると少しさびしい気分になり、一目見に行こうと12:00からスタートのダブルヘッダーを観戦した。優勝が決まっていた中日との消化試合であった。ヒット2本と通算444号本塁打で猛打賞。巨人が勝った。第2試合の合間、予定にはなかったらしいが、長島がグランドに出て、直接ファンにあいさつするといい、外野席まで歩きだした。スタンドから「ナガシマ!」の大歓声、言葉にならぬ涙声と叫びが飛び交い、異様な雰囲気となった。そして、第2試合もヒットを打ち、デーゲーム2試合が終了した。「私は今日ここに引退しますが、わが巨人軍は永久に不滅です!」甲高い声をさらに張り上げたとき、球場だけではなく、テレビ中継で見守った全国の野球ファンが涙を流した。
 2019年3月21日、試合開始後、球場にいる多くのファンは「イチローは今夜限りだ」という情報を察知していた。打席ごと、大変な声援であった。ちょっと前まで、まさか今日が引退試合になるとは誰も思っていなかった。残念ながらアスレチックスに同点された後の8回、4打席目が凡打に終わり、その次の回の守備の段階で交代となる。せめてマリナーズの勝利で終わって欲しいと願う。9回過ぎても同点のままであった。メジャーリーグは引き分けの規定がない。決着が決まるまでエンドレスである。終電時間がそろそろ気になる。12回表マリナーズの攻撃。1死満塁ゴロで1点が入る。その裏のアスレチックスの攻撃が終わり、決着がついたのは11時を回っていた。イチロー選手最後の姿を見ようと誰もが登場を待った。報道陣がダグアウトの前に集結している。イチローコールが何度も湧き上がる。しかしなかなか出てこない。そうしているうちに終電のタイムリミットが近づいてきた。帰る人も出てくる。しびれを切らして観客のウエーブが何回も周回する。盛り上がる。30分ぐらい経過して登場してきた。そこで45年前の光景が思い浮かんできた。外野に出向いたとき長嶋は泣き始め、タオルで何度も顔を覆ったが、イチローは淡々と爽やかな笑顔で回っていた。気がついたら、早い休日の終電は終わっていた。
 奇しくも、昭和と平成のスーパースターの最後の場面を目撃することができた。昭和の時代を象徴する記憶に残る感性のナガシマと修行僧のような日頃の積み重ねとシンキングベースボールを遂行したイチローとは全く対照的であった。激動の時代を進んでいたのが昭和であったが、平成もバブル崩壊→失われた20年→リーマンショックの激動の時代であったともいえる。しかし、数量的に劇変を生じた昭和に比べて、平成時代は穏やかであったともいえる(世界的に見ると別だが)。次の時代はどのように変化するのだろう。
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