アーキプラス

2017.03.31

62.人生万事塞翁が馬?

コラムcolumn
写真:東京マラソン2017
最終ゴールも終わりかたづけ始めている様子(東京駅付近)
 ヤチダヨリ#57マラソン準備開始で書いたように、東京マラソン2017に当選した。年始以来、風邪による体調不良、それにもかかわらずのイベントの多さで、トレーニング不足であった。そこに朝起きた時の目まいや血圧の上昇もあって、医師である妻から、「待った」の声がかかった。そこでちょうど定期的に見ていただいている某大学病院の検査もあり、客観的に見ていただいた。診断では問題なしと出た。単にお酒の飲みすぎだったらしい。
 しかし、ここにきて仕事が忙しくなり、トレーニングは、休日の15km~20kmのジョギングだけであった。以前から比べると練習不足である。少し弱気にもなったが、12.2倍の高倍率を掻い潜っての出場である。安易に出場放棄してしまったら、他に応募していた人達に申し訳ない。と思い、調整不足ではあるが、ただ完走のみを目標として(いつもと同じではあるが)出場とすることにした。
 少し不安になってコースを少しなぞって2週間前に30kmを走ってみた。想定したペースで意外と走ることができた。ただし、25kmを超えた時点で急にペースがダウンしてしまった。栄養補給が足らなかったのかなと思った。以前、数回ほど指導してもらった3度のオリンピック・マラソンランナーである宇佐美彰朗さんの教えを思い出した。途中休んでもいいから、1日かけて走ると体に記憶され、体が憶えるということであった。ふつうは一週間前からは練習をおさえるのが一般的だが、今まですべて行ってきた全コース(42.195km)のランニングなので、一週間前の2月19日の日曜日にゆっくりとしたジョギングでいいから、やっておこうと思った。今度は、途中食事や休みを入れながら、ゆっくりとであった。
 2月19日、都庁前を一人でスタートした。天候は晴れで風があると予報で聞いたがそれほどではない。最初は下りの連続だ。新宿の大ガードをくぐり、人通りの多い歌舞伎町の歩道で人をよけながら、靖国通りを走る。防衛省のいかめしい門扉の前を通過し、外堀通りへ、視界が開ける。飯田橋で目白通り、靖国通りに戻る。世界一の古本屋街を通過する。駿河台の集合住宅ilusaの近くをかすめる。須田町から中央通りに曲がり、神田駅のガードをくぐる。そして、高速道路をかけられた日本橋へ、COREDO日本橋で永代通りに曲がり、兜町を横目で見ながら、茅場町を左折し、新大橋通りに出る。水天宮が見えてくる。浜町中ノ橋を清洲橋通りへ、明治座を横目に久松町の交差点を見る。日本橋久松町の集合住宅SVELTOの近くだ。江戸通りを浅草に、ぐるりと廻って、再び江戸通り、蔵前橋通りを左折し、横綱町公園で清澄通りへ。両国、森下(ここでも現場が始まった)、小名木川、清澄公園、門前仲町まで行き、永代通り左折し、富岡八幡宮でUターンする、また門前仲町を曲がり中間点(21.975km)を通る。森下町で食事。ふたたび蔵前橋通りから江戸通り、COREDO日本橋まで戻り、銀座通り、晴海通りから日比谷通りへ日比谷公園を過ぎたところでコンビニのイートインでまた休憩。御成門、増上寺、芝公園を過ぎた33~4kmを過ぎた地点で地下鉄の換気口のグレーチングに足を滑らし転倒してしまった。以前、福岡マラソンに出場前のニューヨーク旅行中(*)にイーストリバー沿いの歩道の急な段差で転倒した時に痛めた肩鎖関節脱臼を避けるため、肘で胴体を支えようと路面に着地、その際肘で胸を強打してしまった。ジョギングは中止し、そのまま家に帰って、以前フットサルでろっ骨にひびが入った時に使ったバストバンド(胸部固定帯)をすると楽になった。またろっ骨にひびが入ってしまったようだ。何ということだ! さすがに出場はあきらめました。またいつか、東京、ニューヨーク、ローマを走ろうと思っている。人間万事塞翁が馬となるのか?
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