アーキプラス

2017.12.31

71.有松プロジェクト

コラムcolumn
写真:「小さな杜のギャラリー」の模型写真
 9年前、友人の紹介で名古屋にお住まいの方から声がかかった。有松の生家の近くに所有の小さな樹林地があるが、名古屋市の区画整理事業のため、木の一部の伐採を市から要請されているという。古くからある樹林は、地域の人達の共有する記憶であったので、それを残す意義を示す資料をつくった。隣に同じく所有されている駐車場があったので、そこにありのままの自然である樹林を生かした建物の設計をという依頼もあった。検討し始めた。
 有松は名古屋から電車で2,30分の位置にあり、江戸時代より「名物有松絞り」で繁栄し、立派な商家が軒を連ね、今も昔の町並みが残り、豪華な山車まつりも行われている。戦災にあい、戦後の復興と共に都市化が進んだ名古屋近郊では珍しい町である。
 その年の7月に「小さな杜のギャラリー」を提案した。有松の文化に関連したアートを展示する。内部は樹林に面したガラス開口部から、外部に出て、空中からも樹林を眺められる。内部は2階建てだが床や天井の高さに変化を持たせた。樹林の中にオブジェを置く、内部も外部も回遊性のある構成である。夜は藍染の甕に埋められた照明器具で森をライトアップし、建物と一体化した外部空間を演出する。提案はしたが、リーマンショック後の世の中の経済的な停滞と共に、一時の夢として、プロジェクトは宙に浮いてしまった。
 有松は、江戸時代、尾張藩の奨励で東海道に沿いに絞りを製造販売する商工業の町として賑わった所である。その町並みと「有松絞り」が1984年には名古屋市の「有松町並み保存地区」に指定され、1992年には町並みを構成する建物の一部が名古屋市の都市景観重要建築物等に指定された。その後町並み修景が進み、2016年5月20日には国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。
 去年、また声がかかった、町並み修景が整備されて、街が変化してきたそうだ。また、クライアントも早く実現したいという。そこで久しぶりに有松を訪れた。以前多少朽ち果てたような感のあった町の建物が、補助金などを利用し、すっかり修復されていた。まるで時代劇のセットの様になっていた。旧東海道沿いは電柱が無くなっていた。6月に毎年開かれる「有松絞祭り」を見学し、7月に木造で傾斜屋根を取り入れた第2案を提出した。同様のコンセプトで地上2階の木造の提案をした。駐車場をより多くということと上階から旧東海道の町並みの眺めも取り入れたいということで今年2月に第3案を提案した。同様のコンセプトだが、地下1階地上2階の木造の提案を行った。半階ずつ、上って移動し、知らず知らずに屋上にたどりつく。高さの変化に富んだ内部空間の構成、大吹抜け空間 ショップ、カフェを併設した計画である。問題は中身である。プログラムと運営の方法について何か提案はないかということであった。これに関しては、こちらは全くの素人である。さて困った。素人考えでもだからこそ生まれる発想もあるかと考える。クラウドファウンディングの様な方法も一部取り入れ、ラフな事業計画も提案した。
 専門家や地元に精通し、新しい発想ができる人達と共同で考えたいと思った。そこで、今度はクライアントが新しい有松を積極的に考えようとするメンバーを集めてきた。4名で、地域活性化や都市再生、農業・観光振興等の東海地方のまちづくりを支援している大学教授、以前泊まったことある(ヤチダヨリ#54ゲストハウス参照)有松のゲストハウスの御主人、元市役所に勤めていた方で、補助金などの事務を扱い、有松への興味が高じて、今大学院で有松について研究する女性、伝統工芸「有松絞り」の技術を受け継ぎ、新しい商品化やブランド作りを手掛ける経営者。かなり強力なメンバーとなった。これからの作業となるが、それぞれがプログラムを考え提案することになった。共同作業を通して、夢のような話が、現実化しそうだ。
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